サッカーが勝ち取った自由―アパルトヘイトと闘った刑務所の男たち
著者:チャック コール
販売元:白水社
発売日:2010-05
おすすめ度:
クチコミを見る
「差別」という日本語が、語感としてそもそも曖昧な感じがある。違うものを分ける、くらいの軽い感じもする。なにしろ、「差別化」なんて言うと逆に積極的によいものになってしまうくらいで。だからかどうか、「違いがあるのを違うように扱って何が悪い」とか恥ずかしげもなく開き直って自分の無知を披露してしまう人(子どもなんだろうけど)もいるくらいだ。
差別とはまさに無知からくるものなのだが。
英語で言うと、racism。人種主義といえばいいのかな。ある人種が他の人種よりも優秀であると考える主義。自分たちとは異なる人種を、自分たちより劣ると考え、結果、人権を奪い、権利を奪い、自由を奪い、憎しむ。
自分たちより劣る黒人や他の有色人種たちに、白人社会が滅ぼされると信じ、自分たちの国を築いて、有色人種たちを「外国人」として締め出し、一定の居住区のみに押し込める。白人のエリアに出てくるときは、パスポートのようなパスを携帯させる。
アパルトヘイト。
そんな国家体制に反対する者たちはことごとく逮捕され、政治犯としてケープタウンの沖合いにある刑務所に収容された。その数、数千人。現在は世界遺産として登録されているロベン島の刑務所でサッカー協会とサッカーリーグが作られた話。
ネルソン・マンデラさんの89歳の誕生日は、FIFA関係者やペレ、エトーなど伝説的ストライカーたちを集め、彼も収容されていたこのロベン島で祝われたという。刑務所内のサッカー協会は、FIFAのルールブックに厳密に則って運営され、最盛期にはリーグに3つのディヴィジョンがあった。現在、FIFAは、このかつてのロベン島サッカー協会にFIFA名誉会員としての地位を与えている---
時代は遡って、1960年代。
刑務所内は、看守によって警棒やライフルによる肉体的暴力や拷問が日常的に受刑者に行われ、また、毎日、検査と称し、裸にされ四つばいで尻の穴を見せさせるなどの精神的屈辱が与えられるなどの虐待が行われていた。この残忍で冷血で残酷で非道な看守たちは、自分たち白人が優れており、黒人たちには知性がなく、例えばラグビーのような戦術理解が必要となる知的スポーツは黒人にはプレーできないものと信じていたという。この看守たちこそ、実は教育をろくに受けてもおらず、字も書けない者たちばかりだったという。
刑務所での生活は、毎日石削りの厳しい労働を課せられ、楽しみもなく、私語すら許されず、カードゲームやチェスなどを隠れて自作しても即座に見つかって破壊されるだけだった。
そんな暴力や虐待の中、唯一楽しめるのがサッカーだった。シャツを丸めて作ったボールでプレーすることができた。看守に見つかっても、ボールを解いてシャツを着てしまえばわからない。
それから受刑者(アパルトヘイトに反対した政治犯)たちは、国際赤十字の支援も借りて、その後、刑務所長にサッカーの試合を行うことを認めさせるよう、ゆっくりとゆっくりと交渉を重ねていく。
結果、手作りのゴールマウスにでこぼこのピッチで、もちろんユニもなく、それどころかサッカーをプレーするだけの体力もない中、時間を短縮してなんとか初めての試合の開催にこぎつけるのだが、そのクダリが僕は好きで、「30分の試合は終わってみれば0対0の引き分けだったが、参加した全員がその日は勝者だった。」というなんでもない一文に涙しました。
その後もゆっくりながらも交渉力と政治力を発揮し、受刑者たちはFIFAの規則に則った協会を組織し、クラブチームを創設し、リーグを運営していく。揃いのユニに熱いサポーターたちまで手に入れることになる。
リーグ戦が行われるようになると、徐々に刑務所内にも変化が見られ、受刑者たちにも活気が出てくる。週の前半は、前節(試合は土曜開催)の試合の分析や感想の話題で持ちきりになり、木曜ともなると、次節の予想で忙しい。いまやかつてのサッカーが中心だった日常が戻ったのだ。試合が近づくと胸が高まり、緊張で気分が悪くなる。大きな試合の前には友達といえども、敵チームの選手やサポとは口も利かない(本文の一部を要約)---今から40年以上も前の、遠い遠い南アフリカのさらに果ての小さな島の、この受刑者たちの心情は、今の僕らと何も変わらない。
ところで、政治犯を根こそぎとっ捕まえて投獄していたので、マンデラさんをはじめ、このロベン刑務所には解放後に政府の要職に付いた人が多い。サッカー協会を設立し、自分たちをまとめ、刑務所と交渉をしていくには、高度な政治的能力が必要だったわけだが、それらを通じて培った政治力が解放後の国家作りに役立ったこともあるという。なお、話はそれるけれど、普通は政治とスポーツは分けるべきと考えるが、しかし南アフリカでは切り離せない。政治によって、黒人は大きなスポーツの大会には出場させてもらえなかったのだから。
国防相となったレコタ氏は、GKを恐怖に落とし入れるFWということで、当時は「恐怖王」と呼ばれたが、刑務所内でのサッカーは、「自由を奪われた場所で、自由を感じられる時間」と悟る。後に国防相となったとき、「サッカーなしにはわれわれは落ち込んでいただろう。サッカーによって精神的に救われた。」と語ったという。
南アの現大統領ズマ氏も、当時、ロベン刑務所で一つのチームのキャプテンを務めていた。
ロベン島で始まった草サッカーから、「サッカー協会」を作り、「リーグ」を組織し、キャプテンを務めた彼が、今、ワールドカップ開催国の大統領として、世界中のサッカーファンをホストとして迎え入れることができたことは、どれだけの感慨であっただろう。
意義は認めるものの、治安の面で不安があって、正直に言うとまだ時期尚早ではないかと思った南アフリカ大会だったけど、このまま無事に決勝を迎え、成功裏に終わることを願います。この本を読んだらケープタウン(オランダがウルグアイと戦ったグリーンポイントスタジアムがあります)に行きたくなった。ブブゼラ吹き鳴らしたかった。
すべてのサッカーファンに、そしてサッカーに興味のないすべての人に、読んでほしい。
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Takaoh
著者:チャック コール
販売元:白水社
発売日:2010-05
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「差別」という日本語が、語感としてそもそも曖昧な感じがある。違うものを分ける、くらいの軽い感じもする。なにしろ、「差別化」なんて言うと逆に積極的によいものになってしまうくらいで。だからかどうか、「違いがあるのを違うように扱って何が悪い」とか恥ずかしげもなく開き直って自分の無知を披露してしまう人(子どもなんだろうけど)もいるくらいだ。
差別とはまさに無知からくるものなのだが。
英語で言うと、racism。人種主義といえばいいのかな。ある人種が他の人種よりも優秀であると考える主義。自分たちとは異なる人種を、自分たちより劣ると考え、結果、人権を奪い、権利を奪い、自由を奪い、憎しむ。
自分たちより劣る黒人や他の有色人種たちに、白人社会が滅ぼされると信じ、自分たちの国を築いて、有色人種たちを「外国人」として締め出し、一定の居住区のみに押し込める。白人のエリアに出てくるときは、パスポートのようなパスを携帯させる。
アパルトヘイト。
そんな国家体制に反対する者たちはことごとく逮捕され、政治犯としてケープタウンの沖合いにある刑務所に収容された。その数、数千人。現在は世界遺産として登録されているロベン島の刑務所でサッカー協会とサッカーリーグが作られた話。
ネルソン・マンデラさんの89歳の誕生日は、FIFA関係者やペレ、エトーなど伝説的ストライカーたちを集め、彼も収容されていたこのロベン島で祝われたという。刑務所内のサッカー協会は、FIFAのルールブックに厳密に則って運営され、最盛期にはリーグに3つのディヴィジョンがあった。現在、FIFAは、このかつてのロベン島サッカー協会にFIFA名誉会員としての地位を与えている---
時代は遡って、1960年代。
刑務所内は、看守によって警棒やライフルによる肉体的暴力や拷問が日常的に受刑者に行われ、また、毎日、検査と称し、裸にされ四つばいで尻の穴を見せさせるなどの精神的屈辱が与えられるなどの虐待が行われていた。この残忍で冷血で残酷で非道な看守たちは、自分たち白人が優れており、黒人たちには知性がなく、例えばラグビーのような戦術理解が必要となる知的スポーツは黒人にはプレーできないものと信じていたという。この看守たちこそ、実は教育をろくに受けてもおらず、字も書けない者たちばかりだったという。
刑務所での生活は、毎日石削りの厳しい労働を課せられ、楽しみもなく、私語すら許されず、カードゲームやチェスなどを隠れて自作しても即座に見つかって破壊されるだけだった。
そんな暴力や虐待の中、唯一楽しめるのがサッカーだった。シャツを丸めて作ったボールでプレーすることができた。看守に見つかっても、ボールを解いてシャツを着てしまえばわからない。
それから受刑者(アパルトヘイトに反対した政治犯)たちは、国際赤十字の支援も借りて、その後、刑務所長にサッカーの試合を行うことを認めさせるよう、ゆっくりとゆっくりと交渉を重ねていく。
結果、手作りのゴールマウスにでこぼこのピッチで、もちろんユニもなく、それどころかサッカーをプレーするだけの体力もない中、時間を短縮してなんとか初めての試合の開催にこぎつけるのだが、そのクダリが僕は好きで、「30分の試合は終わってみれば0対0の引き分けだったが、参加した全員がその日は勝者だった。」というなんでもない一文に涙しました。
その後もゆっくりながらも交渉力と政治力を発揮し、受刑者たちはFIFAの規則に則った協会を組織し、クラブチームを創設し、リーグを運営していく。揃いのユニに熱いサポーターたちまで手に入れることになる。
リーグ戦が行われるようになると、徐々に刑務所内にも変化が見られ、受刑者たちにも活気が出てくる。週の前半は、前節(試合は土曜開催)の試合の分析や感想の話題で持ちきりになり、木曜ともなると、次節の予想で忙しい。いまやかつてのサッカーが中心だった日常が戻ったのだ。試合が近づくと胸が高まり、緊張で気分が悪くなる。大きな試合の前には友達といえども、敵チームの選手やサポとは口も利かない(本文の一部を要約)---今から40年以上も前の、遠い遠い南アフリカのさらに果ての小さな島の、この受刑者たちの心情は、今の僕らと何も変わらない。
ところで、政治犯を根こそぎとっ捕まえて投獄していたので、マンデラさんをはじめ、このロベン刑務所には解放後に政府の要職に付いた人が多い。サッカー協会を設立し、自分たちをまとめ、刑務所と交渉をしていくには、高度な政治的能力が必要だったわけだが、それらを通じて培った政治力が解放後の国家作りに役立ったこともあるという。なお、話はそれるけれど、普通は政治とスポーツは分けるべきと考えるが、しかし南アフリカでは切り離せない。政治によって、黒人は大きなスポーツの大会には出場させてもらえなかったのだから。
国防相となったレコタ氏は、GKを恐怖に落とし入れるFWということで、当時は「恐怖王」と呼ばれたが、刑務所内でのサッカーは、「自由を奪われた場所で、自由を感じられる時間」と悟る。後に国防相となったとき、「サッカーなしにはわれわれは落ち込んでいただろう。サッカーによって精神的に救われた。」と語ったという。
南アの現大統領ズマ氏も、当時、ロベン刑務所で一つのチームのキャプテンを務めていた。
ロベン島で始まった草サッカーから、「サッカー協会」を作り、「リーグ」を組織し、キャプテンを務めた彼が、今、ワールドカップ開催国の大統領として、世界中のサッカーファンをホストとして迎え入れることができたことは、どれだけの感慨であっただろう。
意義は認めるものの、治安の面で不安があって、正直に言うとまだ時期尚早ではないかと思った南アフリカ大会だったけど、このまま無事に決勝を迎え、成功裏に終わることを願います。この本を読んだらケープタウン(オランダがウルグアイと戦ったグリーンポイントスタジアムがあります)に行きたくなった。ブブゼラ吹き鳴らしたかった。
すべてのサッカーファンに、そしてサッカーに興味のないすべての人に、読んでほしい。
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Takaoh
Comment
こんばんわ^^
決勝と言えば…西村主審が第4審判として選出されました。
されど第4審判であろうとも凄い事だと思います、
国内サッカーの質の向上の為、また世界規模でも
質の低下が懸念されているレフェリー職でこのような選出は
大変光栄な事だろうし、西村氏への期待も感じられます
それこそ「差別」と結ぶのは表現が違うかもしれませんが、
”日本人”レフェリーが世界一を決める決勝の一員として参加する。
これは、とても大きい一歩のように感じます^^
なんとか日本人のサッカーが決勝まで進んだということで、意味が大きいですよね。
その経験をJに還元していってほしいです。
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